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渡来人、読文学。

中国史や野球、マンガや小説、アニメなどの感想についてのブログです。

二十四史邦訳計画 渡来人自序

二十四史 序文 東洋史 私見

 二十四史等の漢籍について維基文庫からの転載での私訳のためにブログを始めてみました。

 と言ってもかなりいい加減な速訳&拙訳になります。何しろ学部卒後十年くらい経って手を付ける事業となります。超簡易的な演習のような手法で(と言っても大漢和とかは用意出来てません……まだ。つまり新字源とか電子辞書とかでやっていくことになります。プリンタも台紙も金がないのでありません。校正とかもひたすらPC上で手動ですしやってくれる相手も居ない形になります。)その代わりガンガン色んな物に浮気しながらも色々訳していきたいと思います。通読していく内に力がつくものと信じつつ、やって参ります。歴史の先達方には、どうかお手柔らかに、ただし遠慮無くドンドン御善導賜りたく思います。

 

 訳そうと思い立った理由の一つには、何より現状余り知られていない時代を知って貰いたいという欲求があります。また、時代時代による記録の手法の発達や、文辞・表現手法の発達というものも、みていて面白い物です。裏にはその当時の文化的な流行や、学者としての流行や制約が見て取れるところがあります。

 また、中国史と言われている物の実相がどうであるのか、名将の史実とはにスポットライトをあて、楽しめる中国史サイトを作り上げていきたいなと思っております。

 実は私を含め、渡来人の子孫というものは日本の至る所に生きております。有名な神主や国学者の家系や、武将の祖先とされた秦氏が有名でありますが、漢の霊帝の子孫を名乗った坂上田村麻呂の子孫を名乗る一族もおりますし、丹波氏や、例えば皮肉な事に田母神俊雄氏などはその坂上氏の子孫に当たるようです。高橋氏、原田氏、秋月氏、田尻氏といった九州の大蔵春実の子孫もおります。その中には、実際はどこの馬の骨とも知れない先祖かも知れんのに今も漢の高祖を祖として祭る人も居ります。私の九州の本家も、そうです。もしかしたら、元寇で土着した漢人の子孫もいるのかもしれません。母系も含めれば、相当数の日本人にとって、ルーツとなる人々の歴史を辿る旅でもあります。そういった見方で、楽しんでみるのも良いかも知れません。

 もちろん、創作の種としてもドンドン使って下さい。ただ当然、その中の誤訳の責任などは私に帰する事になりますので、被る必要の無い誤訳の責任を引っ被るハメになることを避けたければ出展は明記してくれると助かります。もちろん、あなたがわざわざ誤訳の責任を引っ被りたいという物好きな方なら私も関知しませんが……

 

 そしてもう一つ、2chや様々な場所であった論争により高められた、互いのヘイトが解決されていないことにもあります。中国史系には関わらず、歴史系の板においては、自己顕示の手段として、自分が好きな時代・場所の各英雄が選ばれました。私が「アスペ」が蔑称として使われているのを初めて見たのは、日本の戦国時代板の抗争の中ででした。

 これらの愚かな比較が起こった要因は、単なるマウンティングばかりではなく、「戦争は、政治は基本的には変わらない」、「社会は循環している」、という、歴代中国学者が陥ってきた論法にその淵源を求めることが出来るように思います。なぜなら、前提が異なるのであれば、普通は比べないからです。12歳の大谷翔平と今のダルビッシュが対戦して、ダルビッシュが勝ったとしても、ダルビッシュと、大谷の優劣は決まらないでしょう。西口文也が200勝に届かなかったからと言って、彼が山本昌に劣る投手か否かを投票させても、比べられるような人は居ないのではないでしょうか。それどころか、ベーブルース金田正一大谷翔平を比較可能だと強弁し、実際にそれをやっていたのが、歴史系板などでの英雄議論でありました。李靖の兵法には曹操が作り上げた正兵・奇兵の概念や諸葛亮が作った八陣を用いたと言われていますが、李靖は果たしてこの二人に劣る物でしょうか、曹操は耿弇の兵法を参考にしていますが、曹操は耿弇に劣ると断言できるでしょうか。そして逆はどうでしょう、李靖は無条件で曹操諸葛亮を兼ね備えた人物でしょうか、耿弇の戦術を用いた曹操は、無条件で耿弇以上の人物と言えましょうか。私は、「全て馬鹿らしいものだ」、と答えます。

 戦争技術も違う、残っている過去の戦例も違う、ドクトリンも違う、生まれた時代も境遇も民族も違う、文化も違う、民や兵の有り様も違う、戦争へのアプローチも違う、戦争や政治ばかりでなく、修辞や賛辞のあり方も後代の方が発展してくる、記録の詳細さも後代の方が発達してくる、等々。そんな人間のやり方をランキングのように比べることはナンセンスです。超時代的な経典テキストのある儒教のあり方ですら異なるのに、ましてや戦争をや、ですよ。政治で例えるならば王莽は豪族に対して対策というアプローチで取り組んで行く時代を作り、光武帝はその失敗を見て硬軟両面のアプローチで取り組む時代にしました。曹操は求賢令で豪族に対する融和・利用傾向を強め、司馬氏は最終的に諦めて貴族制へと踏み出しました。例えばこのうちのどのキャストが入れ替わったり、楊堅李世民趙匡胤や康熙雍正乾隆の三帝、朱元璋永楽帝に変わったからといって、何かが変わるとは全く思いません。楊堅が王莽の時代に生まれても、屯田制や占田課伝制、或いは北方民族間の同様の法律の歴史無くして、王莽の時代に均田制を敷ける訳がありません。どうやったって王田制の二の舞になるでしょう。同じように、曹操の時代に趙匡胤が九品官人法や科挙の歴史無くして豪族・貴族の官僚制の問題を是正するために唐突に殿試や石刻遺訓を持ってこれる訳がありません。社会の構造から言ってそれを無効化する方向に変わっていくでしょう。だって、生のたった一人の人間ですよ?世界はもっとマクロな動きにあらがえない物です。

 超人の時代はありえません。ローマの興廃と中華の興廃のタイミングがよく似ているのと同じです。個々の戦の勝利ですら、気候まで含めた国家と制度と文化の上に積み重ねられた様々な要因の結実に過ぎませんし、それを個人に帰するのは何事も過大評価でしかないと思います。唐が果たして草原の民の文化を色濃く受け継ぐ政権でなければ、突厥を倒し得たでしょうか、逆に、中原や南方の民の文化を色濃く受け継ぐ文化であれば、むざむざと南詔王国の独立を許したでしょうか。このような仮定は無意味でしょう。現実はそうならなかったからです。

 解放軍出版社『中国歴代軍事戦略』は、三国時代に新たに出てきた戦術として火計を挙げます。新たに出てきた戦術があるということは、無かった戦術であり、そもそも以前はなかった選択肢であるということです。それは流通や制度の変化であったり、湿度の変化であったり民の有り様の変化であったりもしたでしょう、支配階級、高級軍事官僚の考え方や有り様の違いであったかも知れません。命令伝達方法や「教本」の変化もあったことでしょう。このように、とりうる選択肢自体が境遇のみならず時代時代によって異なるのです。比べることがいかに馬鹿らしいか、という話であります。

 若者は英雄を求めます、かくいう私も昔はそういう人間でありました。恐らく若者は(あるいは大人も、ですが)、将来を描く中で、ロールモデルを求めます。あるいは感情移入の対象を求めます。それらを求める中、かくありたい、かくあるべしと思う中、共感によって、実際にはそういった域に達することが出来なくとも、その英雄に対し我が事のような錯覚を抱くのでしょう。我が事ですから、いろいろな言葉に傷ついたり、傷つけ合ったりします。ですが、歴史の素人ながら、みなさんには、沢山の時代の実例を知ることで、個々人の能力や英雄主義ではない純粋に構造的な理解に落とし込んでいって欲しいと思うのです。歴史人物を神格化、英雄化ではなく、その構造に振り回された、或いは泳ぎ切った生の人間の生き様として、楽しんで欲しいのです。

 

 今回の選挙結果の際、レディ・ガガさんが敢えて思想的に異なるトランプ氏に対して掲げた「Love trumps hate(「愛は憎しみに勝つ」、「「トランプの憎しみ」をも愛そうではないか」のダブルミーニング)」という精神でありたいと思っております。故に史家に貶されてしまった人に対しても愛と思い入れを持って解釈したいと思ってますし、誇張されがちで、憎しみを買いがちである各英雄に対しても現実的解釈に落とし込みつつ自分なりの愛を注いだ解釈をしたいですね。そして愛憎の彼岸を越えて、個々人を称えすぎて他を踏み台にするでなく、憎しみの余り揶揄するでなく、もっとニュートラルな、中庸な歴史観を持っていければ、そして読者の方々に抱いていただければ、これほど幸いな事はありません。