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二十四史邦訳計画 『後漢書』 光武帝紀 第一上 第2段落

●第2段落

劉秀、起兵決意の瞬間であります。

 

莽末,天下連歲災蝗,寇盜鋒起。〈言賊鋒銳競起。字或作「蜂」,諭多也。〉地皇三年,〈天鳳六年改為地皇。〉南陽荒饑,〈《韓詩外傳》曰:「一穀不升曰歉,二穀不升曰饑,三穀不升曰饉,四穀不升曰荒,五穀不升曰大侵。」〉諸家賔客多為小盜。光武避吏新野,〈新野屬南陽郡,今鄧州縣。《續漢書》曰:「伯升賔客劫人,上避吏於新野鄧晨家。」〉因賣榖於宛。〈《東觀記》曰:「時南陽旱饑,而上田獨收。」宛,縣,屬南陽郡,故城今鄧州南陽縣也。〉宛人李通等以圖讖說光武云:「劉氏復起,李氏為輔。」〈圖,河圖也。讖,符命之書。讖,驗也。言為王者受命之徵驗也。《易坤靈圖》曰:「漢之臣李陽也。」〉光武初不敢當,然獨念兄伯升素結輕客,必舉大事,且王莽敗亡已兆,天下方亂,遂與定謀,於是乃市兵弩。十月,與李通從弟軼等起於宛,時年二十八。

莽(新)の末,天下は連歲災蝗,寇盜が鋒起した。〈賊が鋒銳競起することを言ふ。字は或ひは「蜂」と作る,多きを諭ふる也。〉地皇三年に,天鳳六年を改めて地皇と為す。〉南陽は荒饑し,〈《韓詩外傳》に曰ふ:「一穀が升[1]らざるを歉[2]と曰ひ,二穀が升らざるを饑[3]と曰ひ,三穀が升らざるを饉[4]と曰ひ,四穀が升らざるを荒[5]と曰ひ,五穀が升らざるを大侵[6]と曰ふ。」〉諸家の賔客[7]、多くは小盜と為り。光武は新野に吏を避く,〈新野は南陽郡に屬し,今の鄧州縣なり。《續漢書》に曰ふ:「伯升の賔客が人を劫し,上は吏を新野の鄧晨の家に避く。」〉因りて宛に於て榖を賣る。〈《東觀記》に曰ふ:「時、南陽旱饑にして,而して上の田獨(のみ)收む。」宛は,縣,南陽郡に屬す,故城は今の鄧州南陽縣也。〉宛の人李通等は圖讖[8]を以て光武に說ひて云ふ:「劉氏復た起つ,李氏は輔為り。」〈圖は,河圖[9]也。讖は,符命[10]之書なり。讖は,驗[11]し也。王者受命之徵と為すと言ふ驗し也。《易坤靈圖》に曰ふ:「漢之臣李陽也。」〉光武初めは敢へて當たらず,然れども獨り兄伯升の素より輕客[12]と結ぶを念ふ,必ず大事を擧げ,且つ王莽が敗亡せること已に兆せり,天下は方に亂れ,遂に與に謀を定む,是乃ち市の兵弩に於てするなり。十月,宛に於て李通の從弟軼等と與に起つ,時に年は二十八なり。

[1]みのる、『穀梁伝』に「五穀不升」とある

[2]飽き足りない、穀物が実らない、食い足りない

[3]うえる、うえ、穀物が実らないこと、凶作

[4]うえる、うえ、作物の凶作、一説に野菜の凶作を饉といい、穀物の凶作を饑という。

[5]あれる、あれはてる、雑草が地を覆う、穀物が実らない、ダメになる。

[6]大不作、五年続く不作。

[7]先行研究によると、賓客と呼ばれる人間の立場は、時代によって変化する。この時代の賓客は、おおよそ「中国戦国時代の賓客のような様々な才能在る人間を養っている部分」と、「日本中世における郎党」の中間のような微妙な立場の人間とみてよい。前漢から新末までの期間をかけて豪族の郎党のような意味合いを帯びていき、後漢三国両晋という長い時間をかけて完全に豪族(貴族)の私兵集団になっていくようだ。

[8]将来の吉凶をしるした預言書。なお、『新字源』第四二版では例で出てきた所がバッチリこの部分の文章だった模様。書き下しカンニングみたいな感じになってもうたやんけ。

[9]中国古代の伝説で、伏羲のとき、黄河から出た竜馬の背に現れていた図。易の卦のもととなったという。[易・繋辞]「河出図、洛出書、聖人則之」

[10]①天の神がだれかを天子にしようとするときに現れるめでたいしるし。

[11]①しるし(証)㋐あかし、証拠。「証験」㋑きざし。兆候。判断のもとになる形。㋒ききめ。効能。㋓むくい。応報。㋔いさお。功績。

[12]不明、侠客の意として訳す。おそらくはチンピラのニュアンスも入っている。

新末,天下は連年、災害や蝗害,寇盜が鋒起した。〈賊が武器を持って競って立ち上がることをいう。字はあるいは「蜂」と作る,数が多いことを例えているのだ。〉地皇三年に,天鳳六年を改めて地皇とした。〉南陽は饑饉となり,〈《韓詩外傳》にいう:「一穀が実らないことを歉(あきたり)ないといい,二穀が実らないことを饑といい,三穀が実らないことを饉といい,四穀が実らないことを荒といい,五穀が実らないことを大侵という。」〉諸家の賓客が、多くの場合盗賊となり。光武は新野へと官吏から逃れた,〈新野は南陽郡に属し,今の鄧州県である。《續漢書》にいう:「伯升の賓客が人を劫掠し,劉秀は官吏から逃れて新野の鄧晨の家に避難した。」〉これによって宛で穀物を売った。〈《東觀記》に曰う「そのとき、南陽は干ばつで饑饉にあったが,劉秀の田だけ収穫があった。」宛は,県,南陽郡に属している,故城は今の鄧州南陽県である。〉宛の人李通等は図讖を以て光武に説いていった「劉氏の王朝は復活する。その時、李氏は補佐をすることになるだろう。」〈図は,河図という緯書の一種である。讖は,新たな天子が天命を得たという証拠の本である。讖は,あかしである。王者が受命することのしるしであるというあかしである。《易坤靈圖》よると、「これは漢の臣李陽のことである。」〉光武は初めは敢えて立とうとしなかったが,しかし兄伯升が普段から怪しげな侠客と結んでいたことを独り思った,必ず大事を遂げて、かつ王莽が滅亡するだろうという兆しが既にあった,天下はまさに乱れ,ついに(李氏らと)ともに謀略を定めた,これには、市の兵弩を用いることにした。十月に,宛において李通の從弟李軼等とともに決起,時に年は二十八であった。

 

 自信ない(震え声)ツッコミ大歓迎

 伯升の賓客ねえ。光武帝が賓客かくまってた話から援用すると、これ光武の賓客だよねぇ。案の定新野に避けるハメになってるし。新野に避けたのは鄧晨の家が新野にあるというだけでなく、王莽の旧領である新野なら外戚じみた中央コネが使えるからと考えると結構据わりがいいんだけどここまで言い切っていいものだろうか。蜂起の際に劉良が新に対して通報しますたしてるから、言い切って良いか。

 もっと言うなら賓客が略奪したものを宛で売ったという可能性も高いかな。何しろ「因」で接続されてしまっている。まぁ、擁護にならない擁護をするなら、時代的に豪族同士で小農民から奪い合い、せいぜい自立、自衛する小豪族同士の小競り合いもやった後で、新野に退却したといったところだろうか。日本なら完全に中世の土豪の姿だなぁ。ただ昆陽で光武の成果の誇張を行った范曄と、一方で『続漢書』と『東観漢記』にはあった光武の言い訳を消した范曄。誇張が本意であるとすると、一体伯升のせいにしていた部分を消したことの編集意図がどうなっているのかがよく分からない。

①范曄は誇張や神格化が本意では無く嫌みで昆陽の戦果部分を誇張した。

②范曄は昆陽の件に関してのみ讖緯説嫌いの悪癖が出て嫌みで誇張してしまった。(更始帝部分は単純に原史料の問題)

③范曄に神格化の意図があったのも事実だが、范曄が閲覧した『東観漢記』及び諸家『後漢書』そのものが現行版本と異なる文章であった。

④范曄自身には単純な神格化の意図そのものはなかった(原史料による神格化の排除は一部不完全ながら行おうとした)が、昆陽での戦果拡張は荊州からの対北朝を見据えたロールモデルとしての誇張なので別枠として原史料以上に誇張した。

⑤李賢及び唐代の編纂参加者が信憑性のない部分として注を付けずにうっかりここの部分を独断で削った可能性。

……一番蓋然性が高いのは4番目かなぁ。范曄は南朝人だから、南朝人としてのイデオロギーが関与することもあり得るし、前科ならぬ後科だけれども、順水北の件で物事の順番変更による胡人に対する曲筆という器用なことやらかしている。しかも、その曲筆は光武個人にクローズアップすれば冷酷さを付加してしまうような曲筆だ。次に3番目と5番目。『東観漢記』に限れば単純に北朝に保存されていた版本よりも文章が既に少なくてもおかしくないし、唐代のこれ、やらかした奴が居ないとは限らないんだよねぇ。学部時代のうすーい記憶だと確か何かの史書で編纂過程の勝手な記述の削除を指摘されている事例があったはずだし、古い史書であれば尚更……

 劉良といえば、おそらく、公的には南陽集団における劉良、劉秀は蜂起に反対だった派閥の側で、新野豪族との血縁を作ることで新との結びつきを深めていた側であったように書かれている。更にいえば劉秀が劉縯の賓客をかくまったことや、江夏の吏を名乗ったこと、後に南陽集団の蜂起の決定的理由となる演出をすることを顧みるに、実は裏で劉縯とも繋がって居たんじゃないかな。あえて劉縯ではなく、この時は劉玄と繋がっていた可能性も踏まえると、面白いことになる。ただ、太学での態度をみても、『漢書』の初期の王莽に対する著述姿勢をみても、後の光武帝の施政としても、王莽の政治に対する反発は一切見えない。思想自体は共有していたが、勢力としての王莽をシビアに見限った可能性も考えるべきかも知れない。鮑永伝での劉秀の態度は、それを裏付けるような「礼節」というよりも「民と兵を数字で計算することが本音と取れる」冷酷な姿勢が見える。

 思えば確かに北宋の蘇轍の光武帝批判は極めて適切なものだ、才知に長け、天下を領有しうる才覚は持っていたが、全てを独断で裁可しようとしすぎており、支持を受けたのはその制度で天下を支配する才覚を持った明帝との父子のみで、結局彼の作り上げた天下を、後の君子(※1)は貴ばなかった。蘇轍の言うとおり、劉邦ではなく光武が項羽と戦っていたら、天下の帰趨はわからなかっただろう。これは光武自身が項羽に匹敵しうる天才であるということでもあるし、項羽に匹敵する独りよがりであるというところでもある。最後に項羽に従った人間が28人であるということは、孔子の弟子における72人と同じで、単に意義深い数字を当てただけ(※2)ではあろうけれども、実に示唆的にみえる。

 

【以下アイマス語り】

 挙兵時28歳を現代的にいえば数えだからまず0歳がないので27、光武帝は12月生まれだからまだ現代的に言えば26、ということは蜂起前年は25ということになり、高垣楓さんピタリ賞やんけ。本人を演じても上手く行くかも知れんし、ダジャレ好き過ぎて良い夫婦になれるで。

 ただ個人的な光武帝像というのはむしろ柚(身内相手)に時子様(非身内)混ぜた感じ。自分で言っててアレだけど、あの二人を混ぜれるんだろうか。実際身内相手の諧謔を好む面と冷徹さの二面性的な所とかそんな感じに見えるんだけどねえ。柚なのは田中芳樹センセの『燭怪』での劉秀の得意技が棒で重心の真ん中を突いて転ばせたりする武術だった関係もある。んでバケモノにぐさあああする。

 光武を柚にすると穂乃香が陰麗華で鄧禹があずきち、忍が祭遵かな。『秀江麗山』の画像みると忍陰麗華説もありだけど。いや、あえて三人の嫁をフリスクで全部埋めるという手も。

 というか、一番合ってるのはよく考えるとsideMの秋月涼か。秋月姓は大蔵氏で後漢霊帝の子孫だしね。イケメンアイドル(執金吾)を目指しても居るし、個人的な「劉秀、王莽の寵童疑惑」にも対応できるしパーフェクトだ。涼ちんならぬ涼君は165くらいだから少し身長たりないけど。事に巻き込まれる前の自信のなさ、卓マスとかの黒さと冷徹な部分、315プロ移籍後の自信在る表情と三つ総合すれば本当にジャストフィット。

 後は光とレイナ様?ナンジョーみたいにヒーローじゃないよなぁ光武帝諧謔によって内面を韜晦した性格で冷徹、厳酷な所もあるからやはり楓さんか、柚と時子様を混ぜたい。無理に光を持ってくるならレイナ様と役柄を逆にした方が合いそうだ。罠にはめておいて「ジョークよ」「私は冗談は嫌いだ!」みたいな感じで。

 ただ中国史方面での個人的な光武帝像を言うと「なんでか知らんけど周囲の流れとか讖緯とかの関係で天下取る自負心を持たされるハメになった賈詡」だからなんとなく整合性は取れるんだけれども。

 

 漢初なら劉邦は性格的にも職業的にも絶対早苗さんだけど山口県の原田姓が丁度おおよそ大蔵氏なのであえてとときんどうだろう。まさに初代様などという。テーマソングは原田ひとみ「Burnt red」で。とときんが裸で走ってきて同性を押し倒し「私をどう思う?」って聞く事態。押し倒されるのは誰だろう、生真面目で言葉を憚ることのない子か……忍ちゃんか黒川さん辺りかな?

 三傑は張良はまこまこりんにしてもたまちゃんにしてもちょっとダメだなぁ、男性的というだけなら東郷さんも引っかかってくるけど、テロリズムを辞さない姿勢を見れば、男性的にも見える容姿で反体制(ロック)的な漢、となるとなつきちかな?東郷さんと違って母性とか父性とかないしな張良。再興した韓王家結局見捨てちゃうし。

 蕭何は毒舌な事務・法律家でおさんどんやってくれるタイプ。りっちゃんがどうしても一番最初に来るが……美奈子ォ!その中華料理の山は何だァ!

 韓信……誰だろう、ちょっとアイマスだと思い浮かばないタイプ。横山史記でイケメンだから東郷さん充当するか。それともちょっと保身面で壮絶に抜けたとこのある謀略家という所でレイナ様?レイナ様だな。東郷さんが股くぐりとかなんか印象にないし、東郷さんは地味な名将に取っておきたいタイプ。

 陳平、保身の天才で深慮遠謀があるけど酒と賄賂と女性問題と素行で拙いタイプか。義弟と密通しそうな兄嫁系アイドルなら一発で沢山思いつく(例:美優さん、美波ィ)んだが……飲酒アイドルでいえばあずささんがジャストかなぁ。ある意味賄賂以外なら全部ひっかかる(アイドル志望動機が深慮遠謀と異性問題にジャストフィット)し中の人は賄賂ひっかかりそうだし。どことは言わないが肥えてるし。異性問題を除けば次点で早苗さんだけどやっぱ早苗さんは劉邦にジャスト過ぎるんだよなぁ。

 曹参、全部2番目な高水準で普通なタイプ、完全に卯月やな。春香さんというより圧倒的しまむら臭。 

【暴走終了】 

 

 って、クソ長いしよく考えると半分近くアイマス語りじゃねえか。(秋月涼THE IDOLM@STER全プロジェクト制覇記念、現サービス継続中全4シリーズ言及)

 

※1 後代の士大夫ばかりでなく、おそらくは、後漢代中期以降から評価を受けた知識人の隠逸が頻繁に見られることも視野に入った発言ともとれよう。道家の隆盛などもあって六朝の隠逸詩人へとも繋がっていく思潮である。

※2 72は太陰太陽暦の一年である360日を5で割った数字、100から72を引けば28である。つまり、五行・五運で一年を分けた聖なる数である72を、100へと満たすために欠けているものは、28である。儒家、道家ともに武を卑しむ傾向があり、二十八将選定の意義は、書かれているとおり二十八星宿に対応させた意味合いと、明帝が光武帝を72とした上で対応させて「卑しまれる軍事」を担当するもう片方という意味合いも込めたのかも知れないが……思えば千早がアイマスにおいて特別な地位を占めるのも当然といえるかも知れない。

(16/11/21 22:52本段落訳了)

(16/11/22 08:56校正&再構成)

(16/11/22 09:10加筆修正)

(16/11/22 18:13加筆修正)

(16/11/28 22:57記事分割)

 

漢和辞典:角川『新字源』改訂版四二版 編者:小川環樹 西田太一郎 赤塚忠

ソース元:後漢書 - 维基文库,自由的图书馆