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二十四史邦訳計画 『後漢書』 光武帝紀 第一上 第8段落

●第8段落

昆陽の戦い、中盤戦・下

では、ここから『後漢書集解』より注釈を持ってきます。ただし分かる限り当用漢字で、適当に点をうちつつ。流石に面倒くさいし……

 

 嚴尤說王邑曰:「昆陽城小而堅,今假號者在宛,〈(集解)恵棟曰今称尊号者在宛下、案時宛城尚未抜、不得云在宛前書是也。胡三省曰仮号者謂更始也〉亟進大兵〈亟,急也,音紀力反。〉,彼必奔走;宛敗,昆陽自服。」邑曰:「吾昔以虎牙將軍圍翟義,坐不生得,以見責讓。〈翟義字文仲,方進少子,為東郡太守。王莽居攝,義心惡之,乃立東平王雲子信為天子,義自號柱天大將軍,以誅莽。莽乃使孫建、王邑等將兵擊義,破之。義亡,自殺,故坐不生得。坐音才卧反。見《前書》。〉今將百萬之衆,遇城而不能下,何謂邪?」〈「遇」或為「過」。〉遂圍之數十重,列營百數,雲車十餘丈,〈雲車即樓車,稱雲,言其高也,升之以望敵,猶墨子云「公輸般為雲梯之械」。(集解)恵棟曰服虔左伝注、楼車所以窺望敵軍兵法、所謂雲梯也〉瞰臨城中,〈俯視曰瞰,音苦暫反。〉旗幟蔽野,〈《廣雅》曰:「幟,幡也,音熾。」〉埃塵連天,鉦鼓之聲聞數百里。〈《說文》曰:「鉦,鐃也,似鈴。」〉或為地道,衝輣橦城。〈衝,橦車也。詩曰:「臨衝閑閑。」許慎曰:「輣,樓車也。」輣音步耕反。〉積弩亂發,矢下如雨,城中負戶而汲。〈(集解)恵棟曰言戸内穿井故負戸通典一百五十八巻作負楯〉王鳳等乞降,不許。尋、邑自以為功在漏刻,意氣甚逸。夜有流星墜營中,晝有雲如壞山,當營而隕,不及地尺而散,吏士皆厭伏。〈《續漢志》曰:「雲如壞山,謂營頭之星也。占曰:『營頭之所墜,其下覆軍殺將,血流千里。』」厭音一葉反。〉

 嚴尤が王邑に説きて曰ふに:「昆陽城は小さく而(して)堅なり,今假號者は宛に在り,〈(集解)恵棟曰今尊号を称す者は宛下に在り、時を案ずるに宛城は尚ほ未だ抜かず、前書に在宛と云ふを得ざるは是也。胡三省は曰ふ仮号する者は更始を謂う也〉大兵を亟進すれば〈亟,急也,音紀力反。〉,彼は必ず奔走せり;宛敗れれば,昆陽は自服す。」邑曰ふ:「吾れ昔虎牙將軍として翟義を圍み,生きて得らざることに坐せり,責讓を以て見る。〈翟義字は文仲,方進の少子たり,東郡太守と為り。王莽が攝に居て,義は心に之を惡む,乃ち東平王雲の子、信を立てて天子と為す,義は自ら柱天大將軍を號す,以て莽を誅さん。莽は乃ち孫建、王邑等に兵を將ひしめ、義を擊つ,之を破る。義は亡び,自殺せり,故に生きて得らざることに坐せり。坐の音は才卧の反なり。《前書》に見ゆ。〉今百萬之衆を將ひ,城に遇ひて下すこと能わざらば,何をか謂われん邪?」〈「遇」は或ひは「過」と為す。〉遂に之を圍むこと數十重,營は百數列び,雲車は十餘丈たり,〈雲車は即ち樓車なり,雲を稱するは,其の高きを言う也,之に升りて以て敵を望むは,猶ほ墨子の云ふ「公輸般雲梯之械を為す」がごとし。(集解)の恵棟は服虔左伝注を曰ふ、楼車は所以敵軍の兵法を窺望せるを所以とす、所謂雲梯也〉瞰きて城中を望まば,〈俯きて視るを瞰と曰ふ,音は苦暫の反なり。〉旗幟は野を蔽い,〈《廣雅》曰:「幟,幡也,音熾。」〉埃塵は天に連なり,鉦鼓之聲は數百里に聞こゆ。〈《說文》に曰ふ:「鉦は,鐃也,鈴に似る。」〉或ひは地道を為し,衝輣城を橦く。〈衝,橦車也。詩曰:「衝に臨みて閑閑と。」許慎は曰ふ:「輣は,樓車也。」輣の音は步耕の反なり。〉積弩は亂發せり,矢の下ること雨の如く,城中は戸を負ひて汲す。〈(集解)恵棟は曰ふ戸内に井を穿つを言ひ故に負戸は通典の一百五十八巻楯を負うと作る〉王鳳等は降るを乞ふも,許されず。尋、邑自ら以為らく功は漏刻に在り,意氣は甚だ逸る。夜流星有り營中に墜つ,晝(ひる)に雲が山を壞す如く有り,當に營をして而隕すべくも,地に及ばずして尺(かがや)きて散ず,吏士皆厭伏せり。〈《續漢志》曰:「雲の山を壞すが如くは,營頭之星を謂う也。占に曰ふ:『營頭之所に墜つるは,其の下に軍は覆り將を殺す,血は千里に流る。』」厭の音は一葉の反なり。〉

 

 嚴尤が王邑に説いて言った:「昆陽城は小さいが堅固である,今僭称者は宛にいる,〈(集解)恵棟曰今僭称者は宛の下にいて、時系列的にまだ宛は落ちていない、前書が宛に居ると言わなかったのはこれである。胡三省はいう、僭称者とは、更始帝である〉大兵を急進させれば〈亟は,急である,音は紀力の反切である。〉,彼は必ず敗走する;宛が負ければ,昆陽は自ずと降服する。」邑はいう:「私は昔、虎牙將軍として翟義をかこみながら,生け捕りに出来なかったことを罪とされた,今回もそれを責められると考える。〈翟義字は文仲,方進の少子である,東郡太守となり。王莽が摂政であったころ,義はこれをにくみ,東平王雲の子、信を立てて天子とした,義は自ら柱天大將軍を号し、それによって王莽を誅しようとした。莽は孫建、王邑等に兵を率いさせて、義を撃ち,これを破った。義は滅び,自殺した,故に生け捕り出来なかったことを罪とされた。坐の音は才卧の反切である。《前書》に見える。〉今は百万の衆を率いて居て,城に遭遇して落とすことができなかったならば,一体何をいわれることだろうか?」〈「遭遇して」はあるいは「通り過ぎて」とする。〉遂に之を囲むこと数十重,兵営は百数列となり,雲車は十余丈にもなった,〈雲車は高楼のある車である,雲を称しているのは,その高さによってである也,これに登って敵を望むことは,墨子のいう「公輸般が雲梯を作った」というようなものだ。(集解)の恵棟は服虔の左伝注を引いていった、楼車は敵軍の兵法を丸見えにすることを目的とした、所謂雲梯である〉城中を俯瞰して望み,〈俯いてみることを瞰という,音は苦暫の反切である。〉旗幟は野をおおい,〈《廣雅》にいう:「幟は,のぼりである,音は熾である。」〉埃や塵は天に連なり,鉦鼓の音は数百里に聞こえた。〈《說文》にいう:「鉦は,かねである,鈴に似ている。」〉あるいはトンネルを作り,高楼のある衝車で城を攻撃した。〈衝くは,橦く車である。詩にいう:「衝くに臨んではカンカンと。」許慎はいう:「輣は,高楼のある車である。」輣の音は步耕の反なり。〉積弩は乱発され,矢のふることは雨のようで,城中は戸を背負って水を汲んだ。〈(集解)恵棟は言う、戸の内に井戸を作るを言い、故に戸を負うとは通典の一百五十八巻には楯を負うと書かれている〉王鳳等は降服を乞うたが,許されなかった。尋、邑らは時間を浪費するばかりであったので,非常に焦っていた。夜に流星が軍営の中に落ちてきて,昼に雲が山を壊すかのようで,まさに軍営にぶつかろうとしたとき、,地面に届く前に輝いて散った,吏士は皆畏れて伏した。〈《續漢志》にいう:「雲が山を壊すかのようであるのは,營頭の星をいうのである。占いにいう:『營頭の所におちるのは,その下では軍は転覆し将軍が死ぬ,血は千里にも流れるだろう。』」厭の音は一葉の反なり。〉

 

 割と簡単だが注が長すぎるし、長すぎる割に特段言うことがない。というかサンキュー李賢って感じのところもあった。亟進とか輣とか。前回までで余計な事まで考証しすぎただろうか。『詩経』の訳が適当過ぎるだろうか?まぁここの為だけに『詩経』ひいてどういう意図の句なのかなんてやってられないからなぁ。あと荘尤の言ってる事は無謀すぎるなぁ。まぁ流石にこの兵数で相手が宛を落としている状況が分かっていれば宛に突撃するのは無謀にも程があるので注の通り「宛下」の間違いだろうけど。急進している事を向こうが察知すれば相手が囲みを解くことも望めるだろうしね。ただまぁ荘尤が活躍したのは主に対外戦だからなあ。ちゃんと国内攻めの経験のある王邑とはちょっと毛色が違う。

 仮にここの記述に文字の脱落がないと仮定しても、あんまり荘尤目線での曲筆は疑わなくてよさそうだが、そもそもこの時代を記述している班固も丁度対外戦の経験しかないから、対外戦の見識で判断する荘尤の方の論理に理を見た可能性は高そう。一部の上奏を参考にもしているだろうから、感情移入しちゃってる可能性はあるね。

 

(16/12/06 18:49 初稿)

(16/12/06 18:57 校正)

漢和辞典:角川『新字源』改訂版四二版 編者:小川環樹 西田太一郎 赤塚忠

ソース元:後漢書 - 维基文库,自由的图书馆

     中華書局『後漢書集解』選:王先謙