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二十四史邦訳計画 『後漢書』 光武帝紀 第一上 昆陽の戦後処理と王莽の敗亡

 更始帝の光武重用へと向かって行きます。

 ついでに段々段落といえる程じゃない規模のアレも見えてきたので、題名の付け方変えます。

 あと、レイアウトも変更してみました

●訳

 光武因復徇下潁陽。〈縣名,屬潁川郡,故城在今許州。(集解)先謙曰在今許州城西南〉會伯升為更始所害,光武自父城馳詣宛謝。〈父城,縣,古應國也,屬潁川郡,故城在今許州葉縣東北。以伯升見害,心不自安,故謝。(集解)先謙曰父城潁川県在今宝豊県東四十里県志有父城保〉司徒官屬迎弔光武〈(集解)通鑑胡注伯升官属〉,光武難交私語,深引過而已〈(集解)引為伯升之過〉。未甞自伐昆陽之功,又不敢為伯升服喪,飲食言笑如平常。更始以是慙,拜光武為破虜大將軍,封武信侯。

 光武因みて復た潁陽を徇(めぐ)り下す。〈縣名なり,潁川郡に屬す,故城は今の許州に在る。(集解)先謙曰ふ今の許州城の西南に在り〉伯升の更始がために害する所に會ひて,光武父城より馳せ宛を詣で謝す。〈父城は,縣なり,古への應國也,潁川郡に屬す,故城は今の許州葉縣の東北に在り。伯升を以て害されるを見て,心は自ら安じられず,故に謝せり。(集解)先謙曰ふ父城は潁川県の今の宝豊県の東四十里に在り。県志に父城保有りと〉司徒官屬は弔して光武を迎ふ〈(集解)通鑑胡注に伯升の官属とあり〉,光武は私語を交わし難く,深く引きて過ぐる而-已(のみ)〈(集解)伯升が為引きて之を過ぐるなり〉。未だ甞て自ら昆陽之功を伐(ほこ)[1]らず,又敢へて伯升が為服喪せず,飲食言笑することは平常の如し。更始は是を以て慙じ,光武を為して破虜大將軍を拜し,武信侯に封ず。

[1]ほこる、てがら(51頁)

  光武はこれによって再び潁陽をめぐり下した。〈縣名である,潁川郡に属している,故城は今の許州にある。(集解)先謙はこう言っている。今の許州城の西南にあると〉伯升が更始によって殺害されたことによって,光武は父城より馳せ参じて宛(の更始帝)に拝謁して罪を謝った。〈父城は,縣である,古の應國である,潁川郡に属している,故城は今の許州葉縣の東北にある。伯升でさえ殺されてしまうことを知って,安心できなくなり,故に謝った。(集解)先謙はこう言っている。父城は潁川県の今の宝豊県の東四十里にある。県志には父城保があると〉司徒の官属は光武にお悔やみを述べて迎えたが〈(集解)通鑑の胡注に伯升の官属とある〉,光武は私語を交わす事を避け,深く引いて通り過ぎるだけだった。〈(集解)伯升のために引いて通り過ぎたのだ〉。帰ってからは昆陽の功を一切誇るようなことはなく,また敢えて伯升のために喪に服することもなく,飲食して笑い話していることは平常のとおりだった。更始はこの姿を見て恥じいって,光武を拝して破虜大将軍とし,武信侯に封じた。

 

九月庚戌,三輔豪桀共誅王莽,傳首詣宛。〈三輔謂京兆、左馮翊、右扶風,共在長安中,分領諸縣。淮南子曰:「智過百人謂之豪。」白虎通云:「賢萬人曰傑。」時城中少年子弟張魚等攻莽於漸臺,商人杜吳殺莽,校尉公賔就斬莽首,將軍申屠建等傳莽首詣宛。(集解)萬松齢曰朱監本作于宋本作宋案前書莽伝作朱恵棟曰三輔旧事屠児杜虞手殺莽東観記亦作杜虞呉虞古字通〉

 九月庚戌,三輔の豪桀が共に王莽を誅し,首を傳へて宛を詣でる。〈三輔とは京兆、左馮翊、右扶風を謂ふ,共に長安の中に在り,諸縣を分けて領す。淮南子に曰ふ:「智が百人を過ぐるを之を豪と謂ふ。」白虎通に云ふ:「萬人に賢きを傑と曰ふ。」時の城中の少年子弟張魚等は莽を漸臺に攻め,商人杜吳が莽を殺し,校尉公賔就が莽の首を斬り,將軍申屠建等は莽の首を傳へて宛を詣でる。(集解)萬松齢曰く朱監本の作す宋本の作す宋の案ずるに前書の莽伝に朱と作ると。恵棟曰ふ三輔旧事に屠児[2]杜虞は莽を手ずから殺せり。東観記は亦た杜虞に作る呉と虞、古くは字通ぜり〉

[2]屠殺業者か。(298頁)

 九月庚戌,三輔の豪傑が共に王莽を誅して,首を携えて宛の更始帝に拝謁した。〈三輔とは京兆、左馮翊、右扶風をいう,共に長安の中にあり,その諸縣を分けて管掌した。淮南子ではこういっている:「智恵が百人の中で最も素晴らしいことを豪という。」白虎通ではこう言っている:「一万人より賢いことを傑という。」時の城中の少年の子弟であった張魚等は莽を漸台に攻め,商人杜吳が莽を殺し,校尉の公賓就が莽の首を斬り,將軍の申屠建等は莽の首を携えて宛の更始帝に拝謁した。(集解)萬松齢がいうには朱監本の宋本の宋における解釈では前書の莽伝に朱と作ると。恵棟がいうところでは三輔旧事に「屠殺業者であった杜虞で、莽をその手で殺した」とある。東観記は杜虞としるしている。呉と虞は、古くは字が通用していた。〉

 

●私見

 この字の大きさの方が読みやすいかなぁ。

 あと、恥じた割には結構同時期に任じられたとする雑号将軍と似たような将軍号でグループ化出来そうなんだよね。元から大司徒劉縯が作った私兵を切り離して再編する隙を伺っていたようにも思う。

 このあとの部分ではあるけど、劉縯の部曲の中核は李通に配分されているみたいだ。李通は柱天大将軍の号自体を襲っている。これもよく調べれば一つの闇がありそうではある。

 また、この時代の一介の侠客であるはずの劉玄が恥じた、というのを信じるとすれば、劉玄は教養人であったのだろうか、という話でもあるのだが、史書に記されないことは難しい問題だなぁ。アマチュアだから言っていいっちゃいいんだけど言い切るのは怖い。践祚時に劉玄が臆病に振る舞ったことを含めて、劉玄に対する表現には、貶めの意図は多分にあろうとは思うが、純粋な作り話なのかとするには一抹の不安を感じる。

 また実際訳した際にネタがなくなりそうだけれど、劉玄が践祚に当たって怯えた如く振る舞ったとされるのは、劉秀の「兢兢たり」と同じで、あくまでも当時望まれる謙虚な皇帝の姿としてそう振る舞った史実があったりしないだろうか。

 

(16/12/10 18:26 初稿)

漢和辞典:角川『新字源』改訂版四二版 編者:小川環樹 西田太一郎 赤塚忠

ソース元:後漢書 - 维基文库,自由的图书馆

     中華書局『後漢書集解』選:王先謙