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二十四史邦訳計画 『後漢書』 光武帝紀 第一上 第9段落

●第9段落

昆陽の戦、終結の段となります。

 

六月己卯,光武遂與營部俱進,自將步騎千餘,前去大軍四五里而陳。尋、邑亦遣兵數千合戰。光武奔之,斬首數十級。〈秦法,斬首一,賜爵一級,故因謂斬首為級。〉諸部喜曰:「劉將軍平生見小敵怯,今見大敵勇,甚可怪也,且復居前。請助將軍!」光武復進,尋、邑兵却,諸部共乘之,斬首數百千級〈(集解)恵棟曰通鑑胡注自数百級以至千級也〉。連勝,遂前。時伯升拔宛已三日,而光武尚未知,乃偽使持書報城中〈(集解)恵棟曰東観記曰遂令軽卒将書與城中諸将〉,云「宛下兵到」,而陽墯其書。尋、邑得之,不憙。〈憙音許記反。(集解)恵棟曰案憙與喜古字通劉寛碑陰聞喜字作憙説文云憙喜楽也〉諸將旣經累捷,膽氣益壯,無不一當百。光武乃與敢死者三千人,從城西水上衝其中堅,〈敢死謂果敢而死者。凡軍事,中軍將最尊,居中以堅銳自輔,故曰中堅也。〉尋、邑陳亂,乘銳崩之,遂殺王尋〈(集解)恵棟曰前書世祖悉発郾定陵兵数千人来救昆陽尋邑易之自将万余人行陳敕諸営皆按部無得動独迎與漢兵戦不利大軍不敢擅相救乗勝殺尋〉。城中亦鼓譟而出,中外合埶,震呼動天地,莽兵大潰,走者相騰踐,奔殪百餘里閒。〈殪,仆也,音於計反。或作「噎」。〉會大雷風,屋瓦皆飛,雨下如注,滍川盛溢,〈水經曰,滍水出南陽魯陽縣西堯山,東南經昆陽城北,東入汝。滍音直理反。(集解)先謙曰滍水俗名沙河出今魯山県西呉大嶺東経寶豊葉舞陽諸県入汝即左伝晋楚夾水而軍之泜水也〉虎豹皆股戰,士卒爭赴,溺死者以萬數,水為不流。〈數過於萬,故以萬為數。〉王邑、嚴尤、陳茂輕騎乘死人度水逃去。盡獲其軍實輜重,車甲珍寶,不可勝筭,舉之連月不盡,或燔燒其餘。〈(集解)恵棟曰師古曰燔焚也扶元反李吉甫云燒車水在許州葉県南二十四里光武破王尋燒其輜重於此水浜因名〉

 六月己卯,光武は遂に營を與へ部と俱に進み,自ら步騎千餘を將ひ,前に大軍と四五里去り而陳す。尋、邑亦た兵數千を遣わし合戰す。光武之を奔る,斬首すること數十級なり。〈秦法に,斬首一は,爵一級を賜ると,故に因みて斬首を為して級と謂う。〉諸部喜びて曰ふ:「劉將軍は平生は小敵を見て怯ふるに,今は大敵を見て勇し,甚だ怪なる可き也,且に復た前に居らんとす。將軍に助けを請わん!」光武は復た進み,尋、邑兵は却く,諸部共に之に乘じ,斬首すること數百千級なり〈(集解)恵棟に曰ふ通鑑胡注に数百級より以て千級至る也〉。連勝し,遂に前とす。時は伯升宛を拔きて已に三日にして,而し光武は尚ほ未だ知らざるに,乃ち偽りて書を持ち城中に報ぜしむ〈(集解)恵棟に曰く東観記に曰ふ遂に軽卒をして将に書を城中諸将に與わしめんとす〉,云ひて「宛下り兵到る」,而し陽(いつわ)[1]りて其書を墯[2]とし。尋、邑之を得る,憙ばず。〈憙の音は許記の反なり。(集解)恵棟に曰く憙與喜の古字は通ず。劉寛碑陰[3]を案ずるに聞きて喜ぶの字を作りて憙とす。説文に云ふ,憙は喜楽のこと也〉諸將は旣に累捷を經て,膽氣は益す壯んなり,一をして百にあたらざらんことなく。光武は乃ち敢死者三千人とともに,城西水上より其の中堅を衝く,〈敢死は果敢にして而も死なんとする者を謂ふ。凡そ軍事とは,中軍將に最も尊ばれん,中に居り銳に堅しを以て自らを輔く,故に中堅と曰ふ也。〉尋、邑陳を亂し,銳に乘じて之を崩さん,遂に王尋を殺す〈(集解)恵棟に曰く前書に世祖郾、定陵兵数千人を悉く発し昆陽へ救ひ来たる。尋邑之を易きとし,自ら万余人を将ひ陳に行き諸営に敕して皆部を按(おしとど)[4]めて動くこと得る無し,独り迎えて與漢兵と戦し不利,大軍不敢へて擅に相救へず,勝ちに乗りて尋を殺す〉。城中も亦た鼓譟し而出づ,中外は埶[5]ひを合わせ,震[6]が天地を呼び動かし,莽兵は大潰し,走ぐる者は相ひ騰踐[7]し,奔げては百餘里閒に殪[8]す。〈殪,仆れる也,音は於計の反なり。或ひは「噎」に作る。〉大雷風に會し,屋瓦は皆飛び,雨下つること注ぐ如し,滍川盛んに溢る,〈水經に曰ふ,滍水は南陽魯陽縣の西堯山に出づ,東南に昆陽城北を經て,東は汝に入る。滍の音は直理の反なり。(集解)先謙に曰ふ滍水の俗名は沙河なり。今の魯山県の西に出ず、呉大嶺の東に寶豊、葉、舞陽、諸県を経て汝に入る。即ち左伝の晋楚が水を夾み而之に軍せる泜水のこと也〉虎豹も皆股戰[9]し,士卒爭ひて赴く,溺死者は萬を以て數ふ,水は為に流れず。〈數が萬を於て過ぐる,故に萬を以て數を為す。〉王邑、嚴尤、陳茂は輕騎をして死人に乘りて度水し逃れ去る。盡く其の軍實輜重を獲,車甲珍寶,筭[10]ふに勝へざるべし,之を舉ぐること連月にして盡きず,或ひは其の餘りを燔燒せんと。〈(集解)恵棟に曰く師古に曰ふ燔は焚也,扶元の反なり李吉甫は云ふ,焼車水は許州葉県の南二十四里に在り,光武が王尋を破り其の輜重を此水浜に焼くことに因みて名とす〉

[1]いつわる、うそをつく

[2]古同堕、古通惰。(墯_百度百科)

[3]碑に書かれた文章

[4]①おさえる、押しとどめる

[5]いきおい(218頁)

[6]かみなり(1086頁)

[7]物や人の上を乗り越えていく(1129頁)

[8]死ぬ、たおれる(544頁)

[9]ふるえおののく(817頁)

[10]「算」(755頁)

 六月己卯,光武は遂に軍営を任せて部曲とともに進み,自ら步騎千余りをひきい,大軍と四、五里ほど空けて陣を構えた。尋、邑はまた兵数千を遣わし合戦した。光武は之を破った,斬首すること数十級だった。〈秦の法に,斬首一つにつき,爵一級を賜るといった,故にそれにちなんで斬首を級といった。〉もろもろの部曲は喜んでいった:「劉將軍は普段は小さな敵を見て怯えるのに,今は大きな敵を見て勇気を奮い起こしている,なんとおかしなことで,しかもまだ前に進もうとしている。將軍に助けを請おう!」光武はまた進み,尋、邑兵はしりぞいた,もろもろの部曲はともにこれに乗じて攻め,斬首すること数百千級であった〈(集解)恵棟がいうには、通鑑の胡注に、数百級から千級に及ぶことをいうとある〉。連勝し,遂に敵陣を前とした。時は劉縯が宛を落として未だ三日であるため,光武は未だ尚、それをしらなかったが,偽って文書を持たせ城中に報告させ〈(集解)恵棟がいうには東観記に遂に兵士を使って文書を城中の諸将に与えようとしたとある〉,「宛下り兵到る」と書かれていた,またわざと文書を落とし。尋、邑がこれを得たが,内心喜ばなかった。〈憙の音は許記の反切である。(集解)恵棟がいうには憙と喜の古字は通用していた。劉寛碑陰を調べる限りでは聞いて喜ぶことの字を作って憙としたとある。説文解字には,憙は喜楽のことであるとある〉諸將は既に勝ちをかさね,士気はますます高まっており,一兵でも百人を相手に出来るような程であった。光武は死を躊躇わないもの三千人とともに,城の西の水上から其の中堅を衝いた,〈敢死は果敢でしかも死のうとする者をいった。およそ軍事とは,中軍をもっとも尊んでいる,中に居て防御が堅いことをもって自らを助ける,故に中堅というのだ。〉尋、邑の陣を乱し,その勢いに乗じて陣を崩し,遂に王尋を殺した〈(集解)恵棟がいうには前書に世祖は郾と定陵の兵、数千人を悉く徴発して昆陽へ救いにきた。尋と邑はこれを侮り,自ら一万程度を率いて行軍し、諸営には勝手に部曲を動かさないようにと命じ,単独で迎え撃ったため,大軍は自由にはこれを救いあうことができず,勝ちに乗じて尋が殺された〉。城中もまた軍楽をならし,内外が呼応してこれを攻撃した,かみなりが天地を呼び動かし,新の兵は潰乱して,逃げるもの達は互いに物や人を踏みあって逃げ,結局は百余里もいくうちに死ぬことになった。〈殪は,仆れることをいう,音は於計の反切である。或いは「噎」と書く。〉大きな雷風にあって,屋根瓦は皆飛んでしまい,雨は注いでいるかのような程降ってきた,滍川はさかんにあふれた,〈水經にこうある,滍水は南陽魯陽縣の西堯山より出て,東南に昆陽城北をへて,東は汝水に入る。滍の音は直理の反切である。(集解)先謙はこういっている。滍水の俗名は沙河である。今の魯山県の西からでて、呉大嶺の東を寶豊、葉、舞陽の諸県を経て汝水に入る。即ち左伝の晋楚が水を挟んで対峙した泜水のことである〉虎豹も皆ふるえおののき,士卒は争って逃げた,溺死者は一万を数え,水はこのためせき止められてしまった。〈数が万をこえる,故に万を以て数えるという。〉王邑、嚴尤、陳茂は輕騎を使って死人に乘りて水を渡り逃れ去った。ことごとく軍の輜重を獲て,車、鎧、珍しい宝など,数える事が出来ない程だった,毎月のように使っても尽きなかったので,あるいはその余りは焼却されたともいう。〈(集解)恵棟に曰く師古に曰ふ燔は焚である,扶元の反切である。李吉甫はいった,焼車水は許州葉県の南二十四里に在り,光武が王尋を破りその輜重をこの水浜に焼いたことに因んで名とした

 

 これの城の西の水上ってのが色々問題抱えてくるなぁ。地名からいって昆水ってのがあったのかな?渡河奇襲という印象は変わらないが、実際にこの災異を混ぜ込んだような戦闘描写がどういうことなのかということでもある。やはり現実的に考えれば天候悪化で渡河の音が聞こえない瞬間を狙って死を恐れない人間を集めて突撃、っていうのが合理的解釈であると思うが。まぁ、複数の文献を照らし合わせて考えてみないと分からない事もあると思う。

 あと特段要らない情報も入ってるね集解。焼車水のところは観光情報かな?

【追記】ケアレスミスが多い……寶豊県ってのは知らなかったな。清の地名は流石にまだフォロー範囲外だ。でも現代の地名と通じる所も多かろうから、後々地図を作成していく上で役に立ちそうだ。

 

(16/12/10 1:33 初稿)

(16/12/10 14:11 校正・改訂)

漢和辞典:角川『新字源』改訂版四二版 編者:小川環樹 西田太一郎 赤塚忠

ソース元:後漢書 - 维基文库,自由的图书馆

     中華書局『後漢書集解』選:王先謙