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渡来人、読文学。

中国史や野球、マンガや小説、アニメなどの感想についてのブログです。

二十四史邦訳計画 『後漢書』 光武帝紀 第一上 第3段落

二十四史 後漢書 東観漢記 私見

●第3段落

長安の戦い。

 

十一月,有星孛于張。〈《前書》音義曰:「孛星光芒短,蓬然。張,南方宿也。」《續漢志》曰:「張為周地。星孛于張,東南行即翼、軫之分。翼、軫,楚地,是楚地將有兵亂。後一年正月,光武起兵舂陵,攻南陽,斬阜、賜等,殺其士衆數萬人。光武都雒陽,居周地,除穢布新之象。」〉光武遂將賔客還舂陵。時伯升已會衆起兵。初,諸家子弟恐懼,皆亡逃自匿,曰:「伯升殺我」。及見光武絳衣大冠,〈董巴輿服志曰:「大冠者,謂武冠,武官冠之。」《東觀記》曰:「上時絳衣大冠,將軍服也。」〉皆驚曰:「謹厚者亦復為之」,乃稍自安。伯升於是招新市、平林兵,〈新市,縣,屬江夏郡,故城在今郢州富水縣東北。平林,地名,在今隨州隨縣東北。〉與其帥王鳳、陳牧西擊長聚。〈《廣雅》曰:「聚,居也,音慈諭反。」《前書》音義曰:「小於郷曰聚。」〉光武初騎牛,殺新野尉乃得馬。〈《前書》曰,尉,秦官,秩四百石至二百石也。〉進屠唐子郷,〈例曰:「多所誅殺曰屠。」唐子郷有唐子山,在今唐州湖陽縣西南。〉又殺湖陽尉。〈湖陽屬南陽郡,今唐州縣也。《東觀記》曰:「劉終詐稱江夏吏,誘殺之。」〉軍中分財物不均,衆恚恨,欲反攻諸劉。光武斂宗人所得物,悉以與之,衆乃恱。進拔棘陽,〈縣名,屬南陽郡,在棘水之陽,古謝國也,故城在今唐州湖陽縣西北。棘音己力反。〉與王莽前隊大夫甄阜、〈王莽置六隊,郡置大夫一人,職如太守。南陽為前隊,河內為後隊,潁川為左隊,弘農為右隊,河東為兆隊,滎陽為祈隊。隊音遂。〉屬正梁丘賜〈王莽每隊置屬正一人,職如都尉。〉戰於小長安〈《續漢書》曰淯陽縣有小長安聚,故城在今鄧州南陽縣南。〉漢軍大敗,還保棘陽。

 十一月,星孛は張に有り。〈《前書》音義曰:「孛星は光芒短く,蓬然とす。張は,南方宿也。」《續漢志》曰:「張は周地為る。星孛が張は,東南に行かば即ち翼、軫之分なり。翼、軫は,楚地にして,是れ楚地に將に兵亂有らんとす。後一年正月,光武は舂陵に起兵す,南陽を攻め,阜、賜等を斬る,其の士衆數萬人を殺す。光武雒陽に都す,周地に居す,穢れを除き新しきを布くは之の象なり。」〉光武は遂に將に賔客を舂陵へ還さんとす。時、伯升は已に衆に會し起兵す。初,諸家の子弟は恐懼し,皆亡逃し自匿す,曰ふ:「伯升我を殺さん」。光武の絳衣と大冠を見ゆるに及びて,〈董巴の輿服志に曰ふ:「大冠なる者は,武冠と謂ふ,武官の冠は之なり。」《東觀記》に曰ふ:「上時に絳衣大冠,將軍の服也。」〉皆驚ひて曰ふ:「謹厚なる者も亦た復して之を為さんや」,乃ち稍く自ら安んぜる。伯升は是に於て新市、平林の兵を招く,〈新市は,縣,江夏郡に屬す,故城は今の郢州富水縣東北に在り。平林は,地名なり,今の隨州隨縣東北に在り。〉其帥の王鳳、陳牧と與に西も長聚を擊つ。〈《廣雅》に曰ふ:「聚は,居也,音は慈諭反なり。」《前書》の音義に曰ふ:「小なる郷を聚と曰ふ。」〉光武は初め牛に騎り,新野尉を殺し乃ち馬を得ん。〈《前書》に曰ふ,尉は,秦官なり,秩四百石より二百石に至る也。〉進みて唐子郷を屠る,〈例に曰ふ:「多く誅殺する所を屠と曰ふ。」唐子郷は唐子山に有り,今の唐州は湖陽縣の西南に在り。〉又湖陽尉を殺す。〈湖陽は南陽郡に屬す,今の唐州縣也。《東觀記》に曰ふ:「劉終は江夏吏を詐稱し,之を誘殺す。」〉軍中の財物を分くるに均しからず,衆は恚り恨み,諸劉に反攻せんと欲す。光武は宗人の得たる所の物を斂(あつ)め,悉く以て之に與ふ,衆は乃ち恱ぶ。進みて棘陽(キョクヨウ)を拔く,〈縣名なり,南陽郡に屬す,棘水之陽に在り,古の謝國也,故城は今の唐州は湖陽縣の西北に在り。棘の音が己力反なり。〉王莽の前隊大夫甄阜、〈王莽は六隊を置く,郡に大夫一人を置く,職は太守の如し。南陽を前隊と為し,河內を後隊と為し,潁川を左隊と為し,弘農を右隊と為し,河東を兆隊と為し,滎陽を祈隊と為す。隊の音は遂。〉屬正の梁丘賜と〈王莽は隊毎に屬正一人を置く,職は都尉の如し。〉長安に戰ふ,〈《續漢書》に曰ふ淯陽縣は小長安聚に有り,故城は今の鄧州南陽縣の南に在り。〉漢軍は大敗し,還りて棘陽を保つ。

 

 十一月,星孛は張に有った。〈《前書》音義曰:「孛星は光芒短く,蓬然としていた。張は,南方宿である。」《續漢志》曰:「張は周の土地である。星孛が張であるということは,東南に行けば即ち翼、軫の区分である。翼、軫は,楚の土地なので,これは楚の土地に兵乱が起きようとしているのである。一年後の正月,光武は舂陵に起兵した,南陽を攻めて,阜、賜等を斬る,その兵士数万人を殺した。光武は雒陽を都とし,周の土地に住んだ,穢れを除いて新しいことを普及させるにはこの形であろう。」〉光武は遂に賓客を舂陵へ還そうとした。その時、伯升は既に衆に出会って挙兵していた。初め,諸家の子弟は恐れて怯え,皆逃げ隠れして「伯升は我々を殺すだろう」といっていた。光武の絳衣と大冠を見るに及んで,〈董巴の輿服志にいう:「大冠というものは,武冠という,つまり武官の冠のことである。」《東觀記》にいう:「主上はその時、赤絹の衣と大冠を身につけていた,将軍の服である。」〉皆驚いて「謹厚な彼でさえも挙兵に参加するというのか」といって皆ようやく安心した。伯升はこれによって新市、平林の兵を招いた,〈新市は,県である,江夏郡に属する,故城は今の郢州富水県東北に在る。平林は,地名である,今の隨州隨県東北にある。〉その指導者である王鳳、陳牧とともに西の長聚を攻撃した。〈《廣雅》にいう:「聚は,人の住むところである,音は慈諭の反切である。」《前書》の音義にいう:「小さい郷を聚という。」〉光武は初め牛に乗り,新野尉を殺してから馬を得た。〈《前書》にいう,尉は,秦の官制である,秩四百石から二百石程度の俸禄であった。〉進んで唐子郷を屠った,〈例にいう:「誅殺が多いことを屠るという。」唐子郷は唐子山にあり,今の唐州は湖陽県の西南に在る。〉また湖陽の尉を殺した。〈湖陽は南陽郡に属している,今の唐州県である。《東觀記》にいう:「劉終は江夏の吏を詐称して,これを誘殺した。」〉軍中の財物の分配が適切ではなく,衆はこのことを怒り恨み,劉氏達に反乱を起こそうとした。光武は宗族が得たものを集め,全てを再分配した,衆はこれに納得し喜んだ。進んで棘陽(キョクヨウ)を抜いた,〈県名なり,南陽郡に属す,棘水の陽にあり,古の謝国である,故城は今の唐州の湖陽県の西北にある。棘の音は己と力の反切である。〉王莽の前隊大夫の甄阜、〈王莽は六隊を置いた,郡に大夫一人を置いた,職責は(前漢の)太守と同じようであった。南陽を前隊とし,河內を後隊とし,潁川を左隊とし,弘農を右隊とし,河東を兆隊とし,滎陽を祈隊とした。隊の音は遂(すい)である。〉属正の梁丘賜と〈王莽は隊毎に属正一人を置く,職責は都尉と同じようであった。〉長安に戦う,〈《續漢書》にいう、淯陽県は小長安聚にあった,故城は今の鄧州南陽県の南であった。〉漢軍は大敗し,棘陽に帰って守りを固めた。

 

 やめて……訳がつらいから何か難しい天文とかの話を始めるのはやめて……

『東観漢記』の劉終による誘殺、これ、私の記憶が正しければ版本によっては劉秀の建言だった気がする。その注では字の異同でその版本の間違いであるとされていたはずだけど、挙兵以前の官位詐称(江夏卒史を名乗って捕まった)がこの謀略に繋がる下見であると考えてみるとか、後の更始帝即位後の官位が私の記憶の限りであれば、劉終(劉祉?)が太常将軍であり劉秀が太常偏将軍であることを顧みるに、役目とかと繋げると色々つじつまが合ってしまうので、これ、誘殺を建言したのが劉秀で合ってるんじゃないだろうか。劉秀はあるいは本家筋に当たる劉終への監軍としての側面もある?劉揚の血縁である耿純に、劉揚の暗殺を命じる際の劉秀の耳打ちを後の史書が消していることといい、光武帝が偉大であれば良い『東観漢記』と違って後の史書は一貫して劉秀について「倫理に悖る謀略家」である側面を消そうとしている気配(後漢でも、南朝でも、史書編纂の理由が事実の追究ではなく経学の一種としての史学の側面もあるだろうし、その曲筆の態度&方向性には差があると思われる。南朝貴族としての君主像を打ち立てる目的があるなら、もちろんその目的にそって記述するだろう)があるので、何かこれもそうなのではないかなと考えてしまう。南陽劉氏の参謀としての劉秀というか。以前賈詡に例えたのもそういったところが徳の薄い謀臣的人間に見えた所があったためでもある。

 この人は考えれば考える程「心優しさ」からは遠のいて行く人であるのは間違いない気がするなぁ。

 

【16/11/28 ついでに追記】

 PCの底から『東観漢記校注』の中華文化網版を召喚

●『東観漢記校注』世祖光武皇帝紀

〔四四〕「使劉終詐稱江夏吏」,此下二句原無,姚本、聚珍本有,今據增補。范曄後漢書光武帝紀云:「光武初騎牛,殺新野尉乃得馬。進屠唐子鄉,又殺湖陽尉。」李賢注引東觀漢記云:「劉終詐稱江夏吏,誘殺之。」姚本、聚珍本即據此增改。

 建言とまで言うのはちょっと記憶違いだったなぁ、でもやっぱりこの策の主体は光武のように思える、しかも「使」字がないから改めるべきとする理由が范曄『後漢書』に引く『東観漢記』か……無限ループって怖くね?

 『東観漢記』姚本・聚珍本の両本にあり、しかも城陽恭王祉伝ではなく本紀の記載なので、これはやはり光武の主体の策動であると思う。『後漢書』で同様に主語を消すことで二十八将の建言を光武の発言であるかのようにねじ曲げている場合は、光武帝紀ではなく二十八将の伝記の方に記載することで主体が本来誰であるかを明らかにしているとみられるので(任光伝の松明による偽兵の計の件)もし筆法が同じであった場合、あるいはこれ、曲筆ですらなくて、後世の序列によって記述法の使役の順位がごちゃごちゃとひっくり返ってしまったことによる誤読でこうなったんじゃないかな。

 あと念の為wikiの劉祉も確認したが、え、劉祉と劉終って同一人物じゃなかったっけ?これからちゃんと読んでいかないとなぁ。

 

【追記】しまった、よく読むと全く関係なくて江夏の吏を詐称させたか否かって話だった。光武が劉終にさせたこと事態には注記者も異論は無いみたいだ。色んな先入観で混乱していたのはむしろ私だ。

 

(16/11/27 23:13 初稿) 

(16/11/28 23:52 史料確認し追記&細かく分かりにくい部分を改稿)

(16/11/29 1:11 再加筆)

漢和辞典:角川『新字源』改訂版四二版 編者:小川環樹 西田太一郎 赤塚忠

ソース元:後漢書 - 维基文库,自由的图书馆